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Transzendenz ; Eksistenz (mini size)


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原爆資料館へは二度ほど行ったことがある。一度目は幼い頃両親に連れられて行った。館内がやけにしんとしていたせいか、見るものすべてが非現実的な感じがして、幼い私は全く恐怖感を覚えなかった。資料館を出て両親と広島の 市街地を歩きながら、両親に向かって私は必死に怖がっているふりをしてみせたのを憶えている。あのような場所では子供は怖がらなくてはならないのだ、と当 時の私は幼いながらに思っていたらしい。しかしながら先にも述べたとおり私は何の恐怖感にも襲われていなかった。その証拠に父の運転する帰りの車の中で私 はぐっすりと安眠した。幼いながらにそのことで何か悪いことをしてしまったのではないかと思ったのを憶えている。

二度目に行ったのは小学生の半ばくらいだっただろうか。いつ誰とどういう経緯で行ったのか忘れてしまったが、その頃にはもう分別のついている年頃だったと思う。館内には全身ケロイドの体の人々や被爆直後に水を求めて歩く人々の行列などの写真やその他様々な遺品が無数に展示されていた。一度目同様、私は別段恐怖を感じなかった。可哀想だという感情も抱かなかった。ただ単に展示してあるものを見ただけだった。被爆者達の姿を自分に置き換えることができなかったのだ。それはまるで遠い昔の絵画、例えばナポレオンを描いた絵画を見るときと同じような感覚だったような気がする。

その日の夜中、私はサイレンの音で目が覚めた。私はぼんやりとその音を聞いていた。ふいに私は何かを思い出した。その後次第に動悸が速まり、 私の体は恐怖で固まった。自分でも信じられないくらいの大声で両親を呼んだのを憶えている。何事かと飛び起きてきた母にしがみついて私は思いきり泣いた。 それ以後しばらくの間私はサイレンの音に悩まされることになった。

POSTED Aug 23 2010 @ 21:39
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